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インスタグラム mare.wine が綴るワインと時々経済のはなし

サービスとお金

一昨日ワイン会も終わり、やっと一息。昨日はゆっくりしながら、色々将来の計画について考えを巡らせておりました。

 

レストランを考える上で当然サービスは要。サービスについてはずっと色々考えていたのですが、そのサービスとお金とのことについて思うところがあり、ちょっと書いておきたいと思います。今はまだお客さんの立場なので書けるところもあり、これがレストランを始めてから書くと多分「ふざけんじゃない!」ってことになるので、今のうち〜。

 

最近、「カスハラ」とかがニュースになったりします。お店側も労働力を確保する為には労働環境を良くすることが必須となっている今、「難しい」お客さんに対してどう対処するかがポイントとなっているからでしょう。この「カスタマー・ハラスメント」の源はやはり「俺はお金を払っているのだから当たり前だろ。」という気持ちがあるのかなと思います。あれっ? いつの時代からそんなにお金って偉くなったの?

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貨幣が存在する前は、もともと取引は物々交換。農家さんはお米を、猟師さんは獲った動物のお肉を交換したりしてました。この交換、例えば今的な価値基準の「千円分」のお米と「千円分」の鳥肉を交換するとき、どちらかが偉そうにするなんてことはありますか?たぶん、ないですよね。でも、この片方をお金に替えてみると、本来は同等の価値の交換であるものが、なぜか力関係が変わってしまいます。お金のマジックですね。

 

このお金のマジックは、お金の持つ「個性」だけではなく、経済環境によっても変わってきます。例えば、戦後日本の闇市では「お金」よりも「もの」の方が力関係的には強かったと思われます。また、ハンパー・インフレ下にある経済では、明日には目減りしている「お金」よりも「もの」の方が強いです。裏を返せば、今の日本では長らく続いたデフレ経済、現状の超低インフレ環境が「お金」を強くしていて、それによってお金の出し側にやや傲慢さができたのかも知れません。

 

個人的には、お金を払うということは、それと同等の「もの」や「サービス」と交換して頂いているだけなので、傲慢になったり、「難しい」客になったりする余地があるなんてとても思えないんです。

 

お金を稼ぐのは大変です。そういった意味でお金は価値があります。だからといって、何かと交換するときにそのお金は同等の価値と自分が「同意」したものと交換しているのですから、傲慢になる必要はないのでは? 「お金を払うんだから俺は偉いんだ」みたいな前時代的考えはもうそろそろいいんじゃないですか? 本来、「礼には礼を」という茶道的な日本人の美徳があるのですから。

 

mare